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院長便り

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2013年2月2日(土) 愛人者人恒愛之

又聞きなので詳細については誤りがあるかもしれません。



韓国にプロのライセンスは持つものの、成績は鳴かず飛ばずのゴルファーがいました。その彼がある大会で初めて優勝し、今までに手にしたことのない優勝賞金を獲得しました。

初めて優勝した彼に近づく男がいました。

男はゴルファーに告げました。「私には病気の子供がいます。アメリカに連れて行って手術しなければ助かりません。必ずお返ししますので、あなたの優勝賞金を貸してはもらえませんか。」と

ゴルファーは快く男の申し出に応じました。

ところが、その男は詐欺師だったのです。

彼は生まれて初めて手にした優勝賞金をまんまと騙し取られてしまいました。



それを嗅ぎつけたマスコミは記者会見の場を設けました。


「とんだ災難でしたね。あなたが優勝賞金のすべてを貸したのは新手の詐欺師だったのですよ。今 どんなお気持ちですか?」

「病気の子供はどうなったんですか?」

「すべて作り話ですよ」

「じゃあ病気の子供はいなかったんですね」

「もちろん すべて嘘です」

「よかった」



愛人者人恒愛之  「人を愛する者は 人恒に之を愛す」

孟子の言葉です。

敬人者人恒敬之  「人を敬する者は 人恒に之を敬す」

と対句となっています。

2013-02-02 19:01:00

2013年1月14日(月) 文字はあなたがどのように朗読するかに懸かっている。調べはあなたがどのように歌うかに懸かっている。

フランス人の舞台俳優がアメリカ人の集うパーティーに招かれ、余興で悲劇の一場面を演じてみせました。

誰ひとりフランス語がわからなかったにもかかわらず、多くの出席者が涙を流したそうです。

大きな拍手を浴びる俳優にパーティーの司会者はマイクを向けて尋ねました。

「名演技をありがとうございました。皆フランス語がわからなかったのですが、どういう台詞だったのですか?」

俳優は笑って答えました。

「パーティーに用意されたフランス料理のメニューを読んだだけですよ。」と



誰もフランス語がわからなかったのですから、俳優が言ったのが本当だったのか、フランス人のユーモアなのか真偽のほどはわかりません。でも、フランス語も英語もわからない自分がそこにいても 同じように感動していたのではないかと思います。


流暢に喋っても心に響かない話し方

たどたどしくとも心に染みる話し方


同じ歌でも誰がどう歌うかで与える感銘が違い、

同じ楽器でも奏者によってその持ち味がどれほど発揮されるかが違う。



同じ長さの人生を送るのなら 気持ちを必要なときには確実に伝え 分かり合える人と多く出会いたいものですね。

2013-01-14 19:04:00

2010年10月10日(日) この道を戻ってきたい金木犀

去年の今頃だったでしょうか 毎日新聞に投稿されていた川柳です。

瞬時に好きになって記憶しておりました。今診療所の前に立てているブラックボードに拙い絵とともに、掲げさせていただいております。

どこからともなく金木犀のかおる今の季節、そのかおりを鮮明に感じられる道を見つけたら少し遠回りでもそこを通りたいという気持ちになります。

ただ先月に読んだ特攻隊に関する本で、召集令状一枚で徴兵され特攻を命じられた人たちは この川柳に出会っていたらどんな気持ちで受け止めただろうと考えると 平和の大切さを考えずにはいられなくなりました。


平和の中で本を読める 「読書の秋」がやってきました。

2010-10-10 19:12:00

2009年12月13日(日) 「余生」

十二月九日夜、写経を終えてベランダに出ると十日になっていました。「今日で半世紀か…」他人事のようにつぶやいて北極星を探すと、ちょうど真後ろにオリオン座が位置していました。

小学校でオリオン座を習ったときにこの中央にある横並びの三つの星のまんなかの星を自分の「星」にしようと決めました。

その「星」は、地球という星の上に北極星の方を向いてちょこんと立っている今日五十を迎える自分に、残りどれだけかの人生を何を思って生きろと教えてくれるんだろうという想いに耽ておりました。

2009-12-13 19:18:00

2009年11月18日(水) 人生の扉

僕の住むところでは、十月十一日~二十一日の十一日間でした。

好きな曲をかけながら車の窓を全開にして、すこし遠回りして通勤しました。

四十代最後の金木犀の馨を満喫しました。

2009-11-18 19:20:00

2009年10月5日(月) 「先生と呼ばれるほどのバカでなし」

「ああ、とうとう本当に始まったなぁ。」 平成元年十月一日(日曜日)当院は開院しました。初日の診療終了後ひとり診療所に残り、ブラインドの隙間から差し込む夕日の中でこんな風に思ったことを今も鮮明に憶えています。 おかげ様で当院も二十周年を迎えることができました。ありがとうございます。

「日曜・祝日診療」「平日九時まで診療」などで患者様からの御支持を得てか 八、九八七名の方の御来院をいただきました。

冒頭の川柳は大学院在学中に「白衣を着るようになって、先生、先生と呼ばれるようになると、自分の言動は一目置いてもらえるような気になったり、自分こそ正しいと思いこんでしまう世間知らずの不遜な人間になってしまう危険がある。そうなってしまわぬよう、生涯 怠らず広く勉強しろよ。」と大先輩に戒められ、教わったものです。

過ぎてしまえばあっという間であったこの二十年は多くの患者様との出逢いの日々であったと同時に大先輩を含めた多くの叱ってくれた人々とのお別れの日々でもありました。

現在のところ開業医に定年制はありませんが「バカ」と呼ばれてしまうようになる前に、健康な状態でコラムを恰好よく結んで勇退できる日を迎えれればと考えております。

2009-10-05 19:22:00

2009年5月6日(水) たしかなこと

「生きているのが信じられないような値(あたい)ですが、どうされますか?」

「どんな選択肢があるんですか?」

「安楽死か透析かです。ただし透析をしたからといって治るというわけではありません。どれだけか延命がはかれるだけです。」

診察台から下りて早く帰りたそうに鼻をすりつけてくる犬。悪い夢でもみてるのではないかという気持ちでした。二者択一の選択肢の一つが「安楽死」であることを信じることなど、とうていできませんでした。

「透析して下さい。」

「解りました。ではいつまでになるかは判りませんが、がんばってあげて下さい。」

平成十一年七月下旬から、犬が亡くなる前日の十月十三日まで週に三回から多い時は五回の透析治療。僕の出勤時刻の都合で先生は朝三十分早出していただき、最期まで続けることが出来ました。


「僕まだ八歳くらいなんですね。」

「はぁ?」

「犬でいったらですよ・・・」

十数年前、はじめて受診した時から受付にずっと貼ってあった犬猫の年齢換算表。いつも仲良く仕事しておられた先生ご夫婦と、性懲りもなく飼って八年になる犬を連れて伺った去年十二月に交わした、最後の会話であったと思います。

平成二十一年四月六日、娘さん一人を残し、ご夫婦、お母様、息子さんの四人が火事でお亡くなりになりました。
ここに慎んでご冥福をお祈りいたします。


人間がいつごろからどのように言葉を使うようになったのか、まだ明らかになっていないそうです。しかし言葉の発生以前からおそらくあったであろう 「たしかなこと」 は、この先生が多くの動物たちにされたであろう方法で、過大に修飾されることも過少に評価されることもなく、今の世の中よりも確実に伝わっていたのだと思います。

2009-05-06 19:26:00

2009年1月5日(月) 「言葉」というもの ②

つづき

サブプライムローン問題は、金融工学が産み出した債権の証券化という手法が悪かった。原油価格の歴史的高騰とその直後の暴落は、先物取引に投機マネーが一極集中するのを規制がかけられなかった。そんな後講釈がされていますが現場では何が起こっていたんでしょう。

人間の「欲」と「嘘」とが同じ方向を向いて相乗現象が起こっていただけだったのではないでしょうか。「最後の一点ですよ」「次はもうこの値では買えませんよ」おそらく巧みに使われていた「言葉」だろうと思います。

今日一日を振り返って「いい一日だった」と思う日、「ムシャクシャが収まらない」と思う日、どちらも「言葉」に乗せて運ばれてきたのではありませんか。人の世は「言葉」でできていると言っても過言ではないかも知れません。


出雲大社に印象的な看板が立てられていました。

        四つのテスト  言行はこれに照らしてから

    Ⅰ  真実かどうか

    Ⅱ  みんなに公平か

    Ⅲ  好意と友情を深めるか

    Ⅳ  みんなのためになるか

2009-01-05 19:28:00

2008年12月31日(水) 「言葉」というもの ①

1992年ハリケーン・アンドリューによって壊滅的な打撃をうけた南フロリダ。月日は流れプール付きの邸宅が建ち並んでいた。プールに飛び込もうとせんばかりの幼子二人の手を興奮で汗ばんだ手でつかまえながら共働きの夫婦は微笑んでいた。「これが本当に私たちのものになるのね」まさに絵に描いたようなアメリカンドリームだった。ローンを返済しながら四人家族の幸せな毎日が始まった。

一年ほど経ったある日クレジット会社の男が訪ねてきた。「うれしいお知らせです。住宅の評価が上がり更なるご融資が可能になりました。このリビングにぴったりの大型液晶テレビを、あのガレージにお似合いの4WDを入れてみられては・・・」「ご近所さんもそうされた方多いですよ」たしかにお似合いだし、いつかは欲しいと思っていた。夫婦は更なる返済に追われながらも「裕福」と皆が信じていたものを手にした。

翌年、最初のローン契約どおりに年数%だった金利は十%を超え、月々のローン返済額は文字通り跳ね上がった。まもなく夫婦は返済不能に陥った。

実は住宅ローン会社もクレジット会社もこうなることは最初からわかっていた。少しの手直しを施し”for sale "と立て看板をおいておけば次の夢追い人が電話をくれる。
この方式は一軒の家で何サイクルか、ローン会社の思わくどおりにいった。2006年
7月、住宅価格が下降に転じるまでは・・・

おそらくは金融機関だけではない国絡みであったであろうこの悪意と物欲の転落劇を、神様は見ておられたに違いない。絵に描いたようなアメリカンドリームは地獄絵と化した。

追加融資された時、住宅の値上がり分に掛けられた担保を二番担保、三番担保・・という。仮に安く売りたたかれながらも住宅が現金化できた場合、そのお金は住宅ローン会社に優先回収されてしまう。二番担保以後のクレジット会社は1セントも回収できない。その総額だけでも110兆円を超えるという試算がある。

2008年このお荷物の片棒を日本を筆頭に世界中がかつがねばならない時代が始まった。

2008-12-31 19:32:00

2008年11月14日(金) この世はご縁をいただきにきたところ

当院の待合室に掛けている額の言葉です。「院長・医院紹介」のページでご覧いただけます。

この「ご縁」について来年どのようにしようかと八百万(やおよろず)の神が出雲大社で相談される日が、今年は十一月七日~十四日であることを「ご縁」あって知りました。

全国の神々が出雲の国に集まられ、神々が留守になるので陰暦の十月のことを神無月というのだそうです。反対に出雲では、神々がお集まりになるので神在月・神有月(かみありづき)というらしいです。

最初は、診療所を休んでまで出雲まで行くことに抵抗があったのですが、日帰りツアーの実施日が母の三十六回目の命日である十一月十三日であったため、副院長である妹と休診して行かせていただくことにしました。

神事に詳しいツアー主催者に、鳥居の正しいくぐり方、手水の正しい使い方、お参りの正しい手順など、その作法の所以まで聞くとやはり最初は緊張しながらも、身も心も引き締まってくる思いで、いか焼きを買ったりスマートボールしたりするのが目的の近所の神社とは全く違った、心洗われる体験をしました。

私事になりますが、先月、愛別離苦を体験しました。「逢うは別れの始め」逢ってしまった以上必ず別れが来るという当たり前のことを心底理解し「ご縁」に感謝し大切にするということの難しさを痛切に感じました。

相田みつをさんはこう書かれています。

     その時の出逢いが
     人生を根底から
         変えることがある
     よき出逢いを

2008-11-14 19:34:00